会社員は一流の社畜になれ!

会社員は一流の社畜になれ!

会社員は社畜になれ!

社畜と聞けば働かされ続けて心身ともに疲れ切っている人々を想像し、ヨレヨレのスーツで栄養ドリンクがデスクに置いてあるのを思い浮かべるでしょう。

しかし、私は社畜になりたくない!と思う人は一度社畜になってみてから言ってほしいのです。

社畜ってダメな会社員?

「社畜」という言葉は、一般的には「会社で飼われている牛や豚のように、長時間働かされて生活が支配されている人」を指す蔑称として使われることがあります。

この言葉は、働く人々が会社や仕事に縛られ、自由や個々の幸福を犠牲にして働いている様子を表現するために用いられます。

一部の人々にとっては、この言葉は自虐的に使われることもありますが、他の人々にとっては否定的な意味合いが強く、労働条件や働き方改革を訴える際に使われることもあります。

社畜になる喜び

社畜は会社の畜産物であるなら、それは光栄なとではないのでしょうか?

なぜなら食べるに困らず、寝るに困らない状態だからです。

もう少し広い言い方をすれば自分の身の置き場があるということに感謝し喜ばないといけません。

それが社畜という立ち位置なら社畜は案外良いものなのではないでしょうか?

社畜の何が悪いのか

会社で飼い慣らされている人などごまんといます。

その中で社畜が社牧となればどこの草を食べようか、北へ東へ向かう先を考えなければなりません。

社畜はしんどい、それは社畜でない人からすれば甘えに聞こえるかもしれません。

社畜とワークライフバランス

社畜として働くことは、仕事とプライベートのバランスを取ることが難しくなるでしょう。

長時間の労働や残業によって、家族や友人との時間や趣味、リフレッシュする時間が制約されるからです。

では、果たして私たちは仕事をしていない時間にどれだけ有意義な時間を過ごしているのでしょうか。

Netflixを見たり、ゴロゴロとする時間は少ないから価値があるのではないでしょうか。

私は過去に年間360日労働をした経験があります。

その中の5日間は1秒1分1時間の自由に感謝を感じました。

しかし、独立して数年、年間100日未満の労働、1日の労働時間は3時間となった時。

忙しさを求めている自分を見つけたのです。

社長という社畜

社長は社畜になれません。

社長は豚になれない畜産農家です。

そこらへんでした糞尿を掃除し、食事の世話をしてやるのが仕事です。

つまり、明らかに社畜の方が楽なことに気づきます。

仮に豚がフェンスを壊しても怒られるだけですが、畜産農家は怒られるより先に出費が発生します。

そもそも、それで豚が逃げればもっと大きな損害が生まれます。

しかし、豚はどれだけ怒られても餌を減らされることもなければ寝床を奪われることもありません。

もっとも、病気になったら世話してくれるのは畜産農家側の社長で社畜はおんぶに抱っこで良いのです。

社畜が辛い理由は何か

社畜の辛さは檻に閉じ込められ、自由がないと言うことでしょう。

それに辛さを感じフリーランスになったら、きっと檻に戻りたくなる方々が大勢いるはずです。

自由がないのと、自由しかないなら自由はなくても食べることや寝床に困らないことを選ぶのです。

社畜が調子に乗るな

社畜が給料を上げろ、休みを増やせ、残業を減らせ!

社畜という分際は、生活を保障してもらっているだけでも贅沢なのです。

会社員なら仮にその会社が潰れてもしばらく失業手当で耐えられますが、

会社経営者はそうはいきません。

それこそ、食べれず寝るとこもなくなるのは社畜でない側の人間なのです。

社畜になりきれない営業マンほど自分に惚れている

社畜と呼ばれる人々は、時には過酷な労働条件や制約のもとで働いています

しかし、その一方で自分たちの立場や価値を過大評価し、要求が適切でない場合があります。

これは、自身の状況や立場を客観的に見失ってしまうことにつながります。

人の10倍働き人の3倍評価を受ける。

そして2倍の給料を受け取る。

これが会社員という社畜の限界ではないでしょうか?

それにも関わらず、経営者やずば抜けた才能を持った会社員に憧れ年収1000万円、退職金、福利厚生を求めてしまう。

それは自分にそこまでの価値があると思っている勘違いな会社員であり、営業マンなのです。

胸を張って社畜を目指せ

親が有名な会社に入りなさいと言うのは、社畜になりなさい!」というのと同じです。

しかし、前述の例え話で言えば、お金持ちの畜産農家に飼われなさい!と言っているのです。

お金が潤沢にある畜産農家なら餌も良いし、寝床も広くて綺麗なはず。

だから、親は皆自由ではなく子供を社畜にさせたがるのです。

それなら俺は立派な社畜になったぞ!と実家に帰れば良いのです。

毎日朝から晩まで仕事をさせてもらってるぞ!と。

「仮にも朝から晩まで仕事…やってらんないよ。」なんて言ったらバチが当たるのです。

親が心配するのは子供が暇そうにしていること

社畜ではない人生を親が見るとどう思うか。

親孝行をしたいという社会人を多く見てきましたが、親は心配をしたいのです。

毎日忙しそうにしていて、身体を気遣う親でいるべきなのです。

毎日暇そうにしていて、なぜかお金もある子供はもっと心配なのです。

自分の人生は自分のもの。

もちろん、その考えは私も持って生きてきました。

その結果、暇ほど恐ろしいものはなく、多忙ほど嬉しいことはないことに気づきます。

世の中はお金ではない、そのことと多忙=お金が貰えるということを繋げて考えなければ良いのです。

ただ自分の居場所があることに今日、感謝する。

それが大切なのです。

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